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脳卒中・小脳出血から丸一年経って


【この記事は消えてしまった旧ブログからの転載です】

昨年(2014)の9月19日、私は小脳出血を起こしました。 入院中もいろいろ書いていましたが、ちょうど一年経ったことですし、わりと検索経由で見てくださる方も多いので、改めて書いてみたいと思います。

あと長文をまとめるのがひどく苦手と言うことに今更気づきまして(^^; 長い上にかなり読み苦しいとは思いますが許してやってください。

ちなみに自分のスペックは当時41歳、心臓の持病がありワーファリン(血を固まらなくする薬)を服用しております。


9月19日の朝 突然の発症

朝起きると、少し頭痛がして、起き上がるとまっすぐ歩けませんでした。

身体がヘロヘロで力が入らない感じでした。この時点で少し吐き気もありました。

ただ、少し酔いが残っている程度に感じました。昨夜飲みすぎたのかなぁなんて。

キッチンに立ち朝食の用意などをしているとさらにフラフラし、倒れかけて椅子の背もたれを掴みさらに倒れそうになることが何度もありました。

明らかにおかしいと感じましたが、それでもまだしんどさがある訳でもないので、フラフラしながらも日常を送ろうとし、仕事に行くつもりでシャワーも浴びました。

しかし、明らかに左手が思うように動かなかったため、ネットで調べてみました。

自分は、心臓に人工弁が入っていることもあり、そこに血栓ができて脳に飛んで脳梗塞になる可能性があるということは知っていたので、これかと思いました。

調べた結果、やはり脳梗塞の初期症状と一致したため、ふだん心臓血管外科にかかっている総合病院に電話しました。 大至急来てくださいとのことで、父母に迎えにきてもらい車で送ってもらいました。

迎えが来るまで2,30分はかかったでしょうか。

病院の窓から


車で総合病院へ

車に乗ってから5分くらいでものすごい吐き気に襲われて、我慢しきれず吐きました。

一旦吐き始めると、止まらなくなり、ものすごい悪心が続き、ティッシュの上に吐き続けました。

それから10分も経たないうちに病院に着きました。

しかしもう一人で歩ける状態ではなく、車いすに移るのがやっとの状態で、救急外来に行きました。

待ち合いの椅子でも吐き続けました。

そのまま吐きながらソファで横になりました。

まさか、その後一週間近く上体を起こすことができなくなるとは思いもしませんでした。


腕と脚を動かすテスト

一番最初、自分の鼻先から看護師さんの手までを人差し指を立てた腕を動かして移動させるテストをされました。横になったまま。

こんな当たり前にできそうなことが全然できません。右手はまだ幾分マシなのですが、左手はぐねぐね動いた挙句看護師さんの手にたどり着きませんし自分の鼻にも戻れません。

それから日を重ねるごとに徐々に良くはなっていくもの左手の回復にはかなりの時間がかかりました。

今(発症から1年後)もやってみましたが左手は目標物までスパッと一直線には行きませんでした。どうしても少しふらつきながら動いてしまいますし力加減がおかしかったり少しずれたりします。

脚のテストも行いました。反対の脚の膝にかかとをトントン当てるのですが、これも同様にうまくできませんでした。 こちらは今は特に問題を感じずできます。


吐き気との戦い

ものすごい悪心も10日間以上続きました。少しづつ楽になってるはずなんですが、ただひたすら夜の睡眠薬を待ち続ける日々が続きました。睡眠薬を飲んで寝ている間だけは吐き気を感じず楽でしたから。

吐き気止めを点滴に入れてもらったりもしましたが全く良くなりませんでした。

もう吐くものなどないはずですが延々と吐き続けました。

ほんの少し楽な姿勢もありましたが、最初の頃はそんな体勢も数秒しか続きませんでした。

楽な姿勢で耐えられる時間が延びても寝たきりなのですぐ体が痛くなってしまい、強い吐き気がする方向に向かなければいけなくなってしまいます。

体の痛さか吐き気かの2択を彷徨います。

タイル


吐き気にはPL顆粒が効いた

10月(発症から10数日)に入った頃、吐き気に効くかもしれないから試してみませんかと先生に言われて飲み始めたのが、PLという風邪薬でした。

先生も「効く場合もある」程度の推し具合で、あまり期待はしていませんでしたが、藁をも掴む思いですし普段飲むような薬でしたので気休めのつもりで飲んでみることにしました。

すると、不思議なくらい吐き気が治りました。

2〜3日すると食欲も出てきて普通に食べられるようになってきました。これまでほとんど食べられなかったのに。

吐き気がなくなると日中過ごすのも楽になるので、治そうという意欲というか希望が湧いてきました。

自分の場合、確実にこのPLが治療の転機だったと言えると思います。


救急病棟には5日間居ました

救急病棟にいたのは足掛け5日間ですので実質は4日ちょいだと思います。今考えるとそんなに短かったのかという感覚です。1週間以上居た気分でしたが。

救急病棟は、大きい部屋がカーテンで仕切られているだけなので(自分は起き上がれないので見れないが雰囲気でそう思う)しょうが無いとはいえ、夜中に大声で騒ぎ出す患者さんもおられ、なかなか落ち着いて寝ることもできませんでした。

まだ食事をいただくこともできず、上体を起こすこともできず、ベッドに乗せられたまま一般病棟へ引っ越ししました。9月23日のことでした。


オシッコの管を外す

なんと、主治医は同級生でした。

同級生だからか遠慮無くスパルタで、一般病棟に移りすぐおしっこの管を外すように言われました。

まだ自分で上体を起こすことも保つこともできないのに。


ただここで頑張って動いていかないと、今後の回復に差がつくと思いました。

とはいえなんとか嘆願して3日引き伸ばし9月26日に抜いてもらうことになりました。

それでもまだ自分で上体を起こせないので、ベッドのリクライニングで上体を起こして、看護師さんに手伝ってもらって車椅子に乗り移るという大変な作業になりました。

なんせ身長191cmの大男ですから人一倍大変です。看護師さんが。

その2日前くらいから食事も出るようになり、大小の我慢にも限界があるので、必然的に無理をして動かないといけなくなりました。

先生の思惑通りです。

自分では全く動ける気がしなかったので自分の判断に任せたら寝たきりになってたかもしれません。

病院の窓から


視点が合わない

基本的にできることも少なくやることがなかったので、横になってiPhoneをかまうことぐらいしかできませんでした、 しかし、視点が全く合わなくて、なかなか画面が見れませんでした。

どうやら目が細かく振動してたようで、自撮りをしてみると明らかに視点が合っていません。目が外を向いている状態になっていました。


思い返せば救急病棟で天井しか見れなかった頃、ずっと天井が動いていました。スクロールするように。

もしこのままだと仕事復帰もできないので、先生やリハビリの方にも相談してみましたが特に具体的な対処はありませんでした。

しかしいつの間にやら自然に治っていきました。

今ではまったく問題ありません。ピントが合いづらいのはたぶん老眼です。


歩くこと

初めて座ってご飯を食べれたのは9月24日。背中はもたれたままで、ちょっとの時間と量だったけど。

9月の終わりころから支えられながら歩くリハビリが始まり、10月6日にはトイレまで歩いていくことができました。

10月の半ばには病院の周りを散歩できるまでに回復しました。

今こう振り返ると、すごく早い回復だと思いますが、当時の当人はなかなか日々の回復などほとんど実感できずとてもモヤモヤしていました。


一番最初のリハビリではまったく上体を起こして保つこともできず、立ち上がることも不可能かと思うくらいの身体の反応でした。

イメージでは完全に歩けるんだけど、手伝ってもらって立ち上がってもまったく歩き方がわからない。

まったくバランスが保てずどうしようもない感じ。

小脳というのはバランスをつかさどるところでもあるのでそうなるらしいです。

今も多少フラフラしていますが、生活に困ることはなく他人が見てもわからない程度です。ただ、そのぶん脳や身体ががんばっているようで立ち上がって何かをするとすごく疲れるようになりました。


上手くしゃべることができない

最初は思うように口が動かず、ギリギリ意思を伝える程度にはしゃべれましたが上手く口が回らず、食事も汁物で咳き込むことも多々ありました。

言語のリハビリも受けました。人が気づかない程度には回復しましたが、今でも舌がもつれることは少々ありますし、口が動きにくいなというときも多々あります。


手の細かい動作

上体が起こせるようになると自分でできることも増えてきたのですが、例えば歯磨きの細かい繰り返しの動きができなかったり、味付け海苔をつかむような微妙な力加減ができませんでした。

ぐしゃっと握りつぶしてしまうか落としてしまうかと言う感じ。文字を書くことも書けなくはないけど上手く書けませんでした。

今ではこれらも問題なく回復しています。

自分の場合は左側の方が麻痺が大きかったので、いまでも左手は自分のイメージの8割程度しか正確に動いてくれませんが、元々こんなもんだったと言われれば少ししか気にならない程度です。

病院の窓から


脳出血の原因は

自分の場合は多少特殊でして、心臓の病気があり人工弁人工血管を入れている関係でワーファリンという血を固まらせない薬を飲んでいます。

それが何故か突然あり得ないほど効きすぎてしまって脳の血管から血がにじみ出るように出血してしまったようです。

消去法で1ヶ月前の心臓の手術後から飲み始めた「バクター」と言う抗生剤との組み合わせが悪かったのではと推測されました。

あくまで、今回通っている病院での推測でして、手術をした大阪の病院では関係ないと断言されます。そりゃ、認めるようなことは言えませんよね。


リハビリは焦らずにと言われるも

今考えると、そりゃ焦ります。できるイメージしかないのに、何もできないんですから。できないままになってしまうのが怖いんです。

しかもなかなか回復しない。やっとのことで歩けるようになったらそこから回復が止まった感じがするのでさらに焦ります。

歩けるようになって毎日自主トレで病棟をぐるぐる歩き回ったりスクワットをしたりしました。

でも、よく言われましたが「焦り」が一番の敵らしいです。

焦ったり頑張りすぎて精神的に疲れることより、ゆっくり諦めずに続けることが大切と言うことだと思います。脳の障害は思うように回復していかないのでそう言うことだったんだなと今となっては思います。


脳の病気は恐ろしい

自分の場合はとても軽度だったのでこれくらいで済み、今は体力こそ衰えてるものの日常生活を送ることができています。

それでも当初はここまで書いた通りで、吐き続け、起きれず、歩けない日々が続いていました。

さすがに脳の病気は今回が初めてだったのですが、やはり脳の病気は恐ろしいと感じました。

突然何もできなくなるというのが病気と言うより防ぎようのない事故に近い感覚です。

回復も怪我や手術のように日に日に回復していく実感が薄いので最初はとても辛く感じましたし、すごい不安も感じました。

歩道


新しい身体感覚

現在生活に支障はないですし、他人が見てわかる麻痺などはほとんどないのですが、自分自身では100%回復していると思えません。

しかし、悪く言えばある程度の妥協は必要なのかなと思う、1年経った今日この頃です。

あとは日常生活をこなし馴れていくことが大切なのかなと。

リハビリ入院中とある方に「新しい身体感覚を覚えて下さい」と言われたのがすごくしっくり来ているなぁと思いだしました。

新しい身体感覚。まさにそんな感じです。

まだ書き残したことは沢山あるのですが、あまりにまとまらないので今日はこのへんで。 最後までお読みいただきありがとうございました。